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見えない悪魔

古い原始仏典にはしばしば悪魔が登場する。悟る以前に悪魔に悩まされるのは分かるが、悟ったあと入滅に至るまで悪魔との対話が出てくる。表向きには「成道まえに悪魔が出現し,ブッダはすべての悪魔を降ろて成道した。」(降魔成道)となっている。これはどう解釈すればいいのか?

 

悪魔とはブッダの心の中の汚れであり、それは払っても払ってもまた湧き上がってくるもの。いつも自己を見つめ浄化しているいち修行者である。ブッダは偉大な伝道者のまえに修行者でもあり、仲間と共に語り合い、助け合って真理の道を進む人だっただろう。凡人はリーダーになりたがるが、仏陀はどこまでも同じ真理探究者のひとりを貫く。

 

今の世の中は、陰に隠れていた悪魔が表に出て正体を現した時ではないか。しかし心の目で透明な悪魔を見ることができる人は少ない。悪魔は甘い言葉で欲望を刺激して心を誘惑する。そして人々の心を腐らせていく、、、それが世界に広がる。

 

清浄への道、八正道は

正見・・・真理に対してありのままに見る

正思・・・煩悩怒りの心から離れる

正語・・・うそ、いつわりの言葉を止める

正業・・・殺生、盗み、よこしまなおこないをしない

正命・・・貪らず適正な生活

正精進・・善悪に対して正しい判断をして対処する

正念・・・一瞬一瞬に注意を払い、心を保つ

正定・・・欲望から離れ、精神統一につとめる

 

私はいくつ「清浄行」を行う、行う努力をしているだろうか。

 

善因善果、悪因悪果。目に見えない精神の因でも、悪因はこの物質界に現れ見えてくるだろう。正語、正精進をせず、思いもしないことを言い続け不正業を行えば自分にかえるのである。

 

福島から、ここ2年の偏った報道の社会を見て思う。まあそれも歴史を検証すれば今に始まったことではなく堂々と表に出てきただけだが。個人ができることは八正道で世の中を見、自分の行動を改める。解っていて自分の口から噓を言い無知な大勢の人をだますことは顔、物質面に徐々に現れるだろう。戦後コロッと言うことが180度変わったように、自分は知らなかった、、、だまされていたんだ、、、と。

 

自分は正しいと思っていることは八正道を実践してこれを書いている。